2015年2月8日日曜日

With 「希望の星 東方神起」

チャンミンが「希望」という言葉を口にしたとき,スクリーンに映し出された紅潮した横顔が

涙に霞んで見えなくなりました。


「希望」は「絶望」と対極。

ここ数年来,日本のどこを探しても一点の曇りもない「希望」は見つからず,さりとて絶望と


言い切ることなどできようはずもなく。

遠く未来に目を遣っても苦悩の色は濃く深く。


誰か,「希望」を知りませんか。

昔は確かに無数の「希望」がこの世のあちらこちらに灯髙く掲げられていたのです。

子どもの作文にも通勤電車の中にも家族の団欒にも「夢や希望」が息を弾ませて


溢れていたのです。

誰か,あの元旦の朝日に託した「希望」を知りませんか。


その出口のない厳しい問いに,まさかあの美しい若者があの瞬間に応えてくれるとは

思いもよりませんでした。

感極まった表情で表現者としての幸せを感謝とともに語るチャンミン。


鮮やかに蘇る風景があります。

5年前の3月,ソウルの夜。渾身の力を振り絞って雄々しく美しくユノケルを演じきった


ユノ。

解散報道の渦中でもみくちゃにされながら,怯むことなく新境地を開拓したユノ。


あのステージに,チャンミン,あなたが観客の一人として姿を見せた時の感激は

言うに言えないものでした。


チャンミン,あの頃,末っ子のあなたはどんなに辛かったことでしょう。

東方神起が何処へ行くのかまだ若かったあなたは寄る辺ない不安に胸塞がれていた


ときだと思います。


歌えない,踊れない。

そんな状況の中で今そこに再びライトを浴びて大歓声の中激しく歌い踊るユノ,


その姿をあなたがどんな想いで見つめていたか。


ステージを真っ直ぐに見つめるあなたの後ろ姿の写真を見ました。

そのシルエットがどんな言葉よりあなたの気持ちを雄弁に物語っていました。


あの写真は思い浮かべただけでも涙が出ます。

わたくしのチャンミン像はあのワンショットに集約されます。


2012年,見違えるように逞しく成長したあなたは,ユノとともに力強く東方神起の


復活を宣言しました。

あの後ろ姿に秘めた決意を形にするまでに,どれだけの厳しい鍛錬を


積んだことでしょう。


チャンミン,あなたは唯の末っ子ではなく,やはり最強でした。

絶望の淵に沈みこみそうになっていた東方神起という「希望」のペンライトを


再び真紅に灯してくれたのはチャンミン,紛れもなくあなたとユノの二人です。


母はあなた方に救われ再びの命を生きました。

あなた方に「希望」を与えられたというよりも


あなた方自身が「希望」なのだということを,

チャンミンが今日,教えてくれました。


絶望のどん底から血のにじむような修練を重ねて髙く高く築き上げた


この類まれなる素晴らしい舞台。

ひとはひとを愛し信じ合うものだということを確かめることのできる世界,


国境を超えた世界。


しかし,彼らがこの華やかな舞台を去る日が近づいています。

向かう先はひととひとは信じ合えないものだということを前提とした世界。


その世界観の転換点に立ちながら,いや立っているからこそチャンミンは敢えて


「希望」という言葉を口にしたのかもしれません。


2018年になるのでしょうか。

三度の「東方神起です!」の名乗りを聞けるのは。


その日まで日本,韓国,そして世界がどうなっているのか神のみぞ知る。

絶望は何も生まない。



魯迅の言葉が好きです。

「思うに希望とは、もともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えない。

それは地上の道のようなものである。

もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。」