2009年12月12日土曜日

私たちはどうなっても。

閻魔大王は眉をひそめて、暫く思案に暮れてゐましたが、やがて何か思ひついたと見えて、
「この男の
父母ちちははは、畜生道に落ちてゐる筈だから、早速ここへ引き立てて来い。」と、一匹の鬼に云ひつけました。
鬼は忽ち風に乗つて、地獄の空へ舞ひ上りました。と思ふと、又星が流れるやうに、二匹の獣を駆り立てながら、さつと森羅殿の前へ下りて来ました。その獣を見た杜子春は、驚いたの驚かないのではありません。なぜかといへばそれは二匹とも、形は見すぼらしい痩せ馬でしたが、顔は夢にも忘れない、死んだ父母の通りでしたから。
「こら、その方は何のために、峨眉山の上に坐つてゐたか、まつすぐに白状しなければ、今度はその方の父母に痛い思ひをさせてやるぞ。」
杜子春はかう
おどされても、やはり返答をしずにゐました。
「この不孝者めが。その方は父母が苦しんでも、その方さへ都合が好ければ、好いと思つてゐるのだな。」
閻魔大王は森羅殿も崩れる程、凄じい声で喚きました。
「打て。鬼ども。その二匹の畜生を、肉も骨も打ち砕いてしまへ。」
鬼どもは一斉に「はつ」と答へながら、鉄の
むちをとつて立ち上ると、四方八方から二匹の馬を、未練未釈みれんみしやくなく打ちのめしました。鞭はりうりうと風を切つて、所嫌はず雨のやうに、馬の皮肉を打ち破るのです。馬は、――畜生になつた父母は、苦しさうに身をもだえて、眼には血の涙を浮べた儘、見てもゐられない程いななき立てました。
「どうだ。まだその方は白状しないか。」
閻魔大王は鬼どもに、暫く鞭の手をやめさせて、もう一度杜子春の答を促しました。もうその時には二匹の馬も、肉は裂け骨は砕けて、息も絶え絶えに
きざはしの前へ、倒れ伏してゐたのです。
杜子春は必死になつて、鉄冠子の言葉を思ひ出しながら、
かたく眼をつぶつてゐました。するとその時彼の耳には、ほとんど声とはいへない位、かすかな声が伝はつて来ました。
心配をおしでない。私たちはどうなつても、お前さへ仕合せになれるのなら、それより結構なことはないのだからね。大王が何とおつしやつても、言ひたくないことは黙つて御出おいで。」
それは確に懐しい、母親の声に違ひありません。杜子春は思はず、眼をあきました。さうして馬の一匹が、力なく地上に倒れた儘、悲しさうに彼の顔へ、ぢつと眼をやつてゐるのを見ました。
母親はこんな苦しみの中にも、息子の心を思ひやつて、鬼どもの鞭に打たれたことを、怨む
気色けしきさへも見せないのです。大金持になれば御世辞を言ひ、貧乏人になれば口も利かない世間の人たちに比べると、何といふ有難い志でせう。何といふ健気な決心でせう。杜子春は老人の戒めも忘れて、まろぶやうにその側へ走りよると、両手に半死の馬の頸を抱いて、はらはらと涙を落しながら、「お母さん。」と一声を叫びました。……





芥川龍之介の「杜子春」の一節です。
ファンミーティング中止の一報を受けたとき,小学生のころに読んだこの物語が記憶の底から突然よみがえりました。


欲得ずくの人間社会に愛想が尽き,仙人になることを願った杜子春。
どんなことがあっても声を出さないことを条件に,次々と襲いかかる魔性の試練に耐えるのですが,業を煮やした閻魔大王が,今は亡き彼の父と母を目の前に引き据え,激しく鞭打ちます。馬に姿を変えられているとはいえ,紛れもなく自分の親が苦痛にのたうちまわるのをみた杜子春。それでも仙人になりたい一心で必死に目を閉じ,声を出すまいとします。そんな彼の耳にかすかに届く懐かしい母の声。
息も絶え絶えになりながらも,最期まで我が身をいとわぬ母。馬となり畜生として鞭打たれても息子の幸せだけを祈るかなしい母。


子ども心にも深く印象に残った一場面でした。


この場面を思い出したのはきっと,こんなお便りを頂いたからです。


これから東方神起がどうなるのか・・・心配ですね。ファンや家族や事務所のものではない、誰のものでもない・・・自分達の人生です。
思ったとおりに生きて欲しいと思います。(それができないから辛いのかもしれませんが・・)
なにより皆が幸せであって欲しいと願います。



幸運にも神戸のファンミに当選し,1月を心待ちにしていた母に,どうやって中止を伝えようか随分逡巡しました。
しかし,電話の向こうの母の声は思いのほか冷静でした。もちろん,悲しくないわけなどないのですが,こんな状況の中では無理だと思っていたと言いました。5人の中さえよければそれでいいと答える母に,この方のメッセージを読んで聞かせました。


即座に「そのとおり,そのとおり,それだけのこと。」ときっぱり言ってのけたその声は力強く,神戸のことなど全く心にないかのようでした。同じ思いのトンペンの方々の存在が今の母を支えているとしか思えません。東方神起を待ち望むトンペンの想いはまさに杜子春の母の想いではないのでしょうか。